06 12月 3ヶ月の留学後はシンガポールで取材記者に。留学前の自分には想像できなかったーー海外就職、鈴木あかねさん
鈴木 あかねさん | 20代 / 取材記者 / シンガポール在住 / 12週間
今回のインタビューはシンガポール在住の鈴木あかねさん。中学生の1年をオーストラリアで過ごした鈴木さん。日常会話には不自由しないものの、ビジネスの現場では英語力に物足りなさを感じていたそうです。ビジネスに通用する英語を学び、いつかは海外で働きたいとブライチャーへ留学されました。3ヶ月の留学後は念願の海外就職を果たし、現在はシンガポールで取材記者として活躍しています。ブライチャーへの留学が人生を変えた、とまでおっしゃるその理由をお伺いしました。
ビジネスにふさわしい英語が学びたい
現在のお仕事を教えてください。
日本のビジネスニュース紙のシンガポール支社で編集記者をしています。現地企業のカンファレンスやエキシビジョンなどの取材に行き、記事を書いたり、転電といって、地元紙の記事を日本向けに訳したりしています。最近では、ミシュランガイドの発表イベントへ行き、記事にしました。シンガポールで起きていることを日本に伝えるのが今の仕事です。
まさに英語を使ったお仕事をされているのですね。
日本向けの記事なのでアウトプットは日本語ですが、英語の新聞やレポートを読んだり、取材でインタビューをしたり、リーディングとヒアリングは常に行っています。英語と日本語の使用比率は半々くらいですね。
鈴木さんは帰国子女でしたよね。なぜ英語を勉強しようと思ったのですか?
中学生の時に1年ほど、オーストラリアとニュージーランドに住んでいたので英語は話せましたが、言葉遣いも単語も中学生の範囲でしかなかったんです。以前は、中古品を海外に輸出する会社で働いていましたが、海外のお客様からの問い合わせや交渉などの際に、ビジネスにふさわしい言葉がまったくわからない。話し方も子供みたいだし、語彙も足りない。当時はcontract(契約書)という単語すら知らなかったんですよ(笑)。
松井さんが創ったブライチャーなら間違いない
留学前はどのように英語を勉強していたのですか?
それが難しくて。英語は生活の中で身についていたので、勉強方法がわからなかったんです。英語の知識を増やすのに日本語が介在することにも違和感がありました。日本では、当然日本語で書かれた本や単語帳ばかりですから、IELTSの勉強や、好きな映画を繰り返し見るくらいしか思いつかず、限界を感じていました。
それで留学することにしたのですね。
海外に行けば、英語を英語のまま身につけられますし、自分の経験から、習得スピードが圧倒的に速いと思っていました。仕事でも次のステップへ向けて動きたいと考えていたので、思いきって会社を辞めて留学しました。
なぜフィリピン・セブ留学にしたんですか?
もともとはフィリピンはまったく考えていなかったんです(笑)。留学するならオーストラリアだと。ブライチャーがたまたまフィリピンにあっただけなんです。
創業者の松井さんの著書「企業が『帝国化』する」を読んで以来、twitterやfacebookをフォローしていたんですが、留学を考え始めたころ、フィリピンに英語の語学学校を作ったとツイートしていて、「ここだ!」と即決しました。
英語の訛りや生活など、フィリピンで学ぶことに抵抗はありませんでしたか?
フィリピンの英語は訛りがあると思ってましたが、松井さんが創る学校だから、しっかり指導されているだろうとまったく気になりませんでした。それに、以前の仕事でアジアの方と接する機会が多く、いつも経済の成長スピードや、人のエネルギーを目の当たりにしていたので、自分の目でアジアの国を見てみたいという想いもありました。
本当に日本人なの?と何度も聞かれるほどの発音に
事前カウンセリングで語彙の少なさを松井から指摘されていましたが、どのように増やしましたか?
ライティングの授業で語彙が飛躍的に増えました。毎日A4で9~10ページにびっちり書かれた記事や論文を読み、感想を書く授業です。知らない単語を調べ、書くときには意図的に新しい単語を使っていく。この繰り返しが効果的でした。毎日大量の英文を読むので、リーディングスピードも上がりました。今も仕事で英語のニュースやレビューを毎日読みますが、この授業のおかげで、あっという間に読めてしまうんですよ。文章量も授業の方が圧倒的に多かったので、物足りないくらいです(笑)。
ライティングの授業は今の仕事に直結してるのですね。ほかの授業はいかがですか?
すべての授業が、今の仕事に結びついてます。英語は総合的にスキルを上げていくものですが、ブライチャーでのカリキュラムは、すべてがバランスよく伸びるようになっていますよね。
印象的だったのは何の授業でしょう。
発音のクラスとビジネスコーチングの2つです。発音は先生が本当に厳しくて(笑)。自分ではできたと思っても、完璧にできるまで「まだできていない」と何度も練習させられました。プレゼンテーションなど、授業時間以外でも先生がチェックしていて「あの時のこの音が違っていた」としつこく直してくれました。今でも発音で迷ったときは、先生の顔や口元がぱっと頭に浮かぶんです。
先日飛行機で隣合わせたカナダ人の男性に、「発音がネイティブみたいだけど、本当に日本人なのか?」と3回も聞かれたんです(笑)。日本人は「th」と「l」が不得手だが、君のは完璧だと言ってもらいました。ネイティブの人に褒められたのはとても嬉しかったですね。妥協せずにしつこく指導してくれた先生のおかげです。
ビジネスコーチングクラスはいかがでしょうか?
ビジネスコーチングは英語の授業というより、英語でビジネスの勉強をしているみたいでした。海外の人とどう交渉するのか。自分のことを棚に上げて喧嘩するにはどうするのかとか(笑)。英語ではトーンやしゃべり方も重要であることを教えてもらいました。先生達から、留学して2ヶ月目も経つのに、子供っぽい話し方がぬけていない、と指摘されて悩んでいたのですが、この授業を受けたときにはっとしました。それまではしゃべり方自体には意識がいっていなかったのですよね。それからは早口で話したり、意識してトーンを変えることで、子供っぽさがなくなったと周りの人にも言われるようになりました。
海外就職は大きな壁ではないと気づかされた
留学後は転職活動されていたのですよね?
はい、外資系の会社や、日本企業でも海外支社など英語を活かせる仕事を探しました。外資企業へ応募するときには、履歴書の書き方をビジネスライティングのクラスで教わっていたので、スムーズに書けました。
会社を退職しての長期留学だと、転職時に不利なことはなかったですか?
まったくなかったです。語学力の強化のためフィリピンに留学していたと話すと、どの会社もポジティブにとらえてくれました。留学に興味をもってくれて話がはずんだり、じゃあ英語で説明しますね、といって事業内容説明されたり(笑)。
海外就職へのチャレンジは留学前から考えていたんですか。
以前から海外で働くことへの憧れはありましたが、海外就職はハードルが高く今の私にはまだ無理、と思ってました。でもブライチャーで本気で勉強して、そのうち先生たちから海外で仕事できると言ってもらったことが、挑戦する勇気になりました。
今ではシンガポールで働いていますが、留学前の自分には想像できなかったですね。ブライチャーに留学したことで、人生が変わったと本当に思います。宮崎駿監督の「耳をすませば」という映画に『恐れることはない。遠いものは大きく、近いものは小さく見えるだけのことだ』というセリフがあるのですが、まさにそれだなと思いました。海外就職はずっと難しいと思ってましたが、実際近づいてみれば越えられるとわかりました。次は日系ではない会社で働いてみたいですね。