なぜ、米国在住20年なのにフィリピンでオンライン英語? 50代でも自分が少しずつ変わっていく喜びがあります

在米20年で、ブライチャー創業者松井博の配偶者でもある松井由美子さん。アメリカのカレッジを卒業して、保育園を開業しながらも、英語にはずっと自信がなかったそうです。ブライチャーでは当初ライティングのクラスをとっていましたが、その後会話クラスに移行。今では「ブライチャーが楽しくて、授業に生活を合わせている」というその秘訣を伺いました。

松井由美子さん/50代/会社経営

2002年から米国在住で、なぜ今も英語を勉強されているのでしょうか。

よくフィリピンの先生にも、「なぜ米国に住んでいるのに、英語を学ぶのですか」と驚かれます。2002年、夫の転勤でアメリカに来たのですが、私が住むカリフォルニア・クパティーノ市には日本人が多く、英語を話さなくても、生活できてしまいます。保育園の仕事も日本人が相手なので、日常生活で英語を使う機会はスーパーでの会話くらいなのです。

米国にくるまでの英語学習歴を教えてください。

小学生のときに米軍キャンプの英語教室に行ってました。おかげで、中学・高校と英語は不得意ではなかったですが、アメリカに来てから現在完了あたりでつまづいていたことに気付きました。

アメリカに来た頃は、何もわからず、まるで幼児のようでした。欲求はかろうじて言えるのですが、言われたことがわからない。たとえば、子どもが「Can I have one?」と言っても、聞き取れないんです。外部とのやりとりは、電話だとちんぷんかんぷんでした。「私はネイティブではないので、ゆっくり話してください」とお願いするも、それでもわからない状況で、自分でも本当に情けなくなりました。わからないことが多すぎて、その状況に慣れてしまい、危機感を持たなくなりました。

それは、たとえばどういうことでしょうか。

例えば、主人の会社の同僚が集まって、みんなが英語で話している場面で、「聞いてるのに(内容は)聞いてない」ことが当たり前になってしまうんです。まるで幽体離脱しているようで、「壁の花ってこれか!」という感じでした。悔しかったのですが、ゴールが見えない山を登っているようで、こういう場面では諦める癖がついていました。

子どもたちにも心配をかけていました。ある日、手紙を出そうとしてポストを探したのですが、「ポストはどこですか?」と英語で道行く人に聞いたのに、「何を言っているかわからない」という感じで肩をすくめられて。結局ポストは見つからず、子どもたちは、親が蔑ろにされ、目標を達成できないのをみて「お母さん大丈夫?」と。子どもたちも英語環境に慣れるまでは大変なストレスだったのに、さらに心配をかけてしまっている。これではまずい、この子たちのためにも、自分もわかるようにならないとと思って、クパティーノ市の無料の外国人のための英語教室(ESL)に行ってみました。

日本人ばかりだった現地のESLから、コミュニティ・カレッジのESLへ

ESLはどんな感じだったのでしょうか。

クラスはレベル別に三つに分かれていて、私は真ん中のクラスでした。そこには日本人が大勢いて、みんないい人なんですが、「松井さんここに座りなよ」みたいに席をとってくれて、日本人だけで固まるようになりました。いろいろな国の人がいますが、やっぱり日本人は英語が喋れません。よく日本人は文法はできる、と言いますが、実は文法だってフィリピン、ベトナム、スペイン人のほうがよっぽどできると感じます。

英語がわかってくると、日本人に交わって座っているのが、居心地悪くなってきました。「これでは外国人に混じれない」と夫にこぼしたら、「止めて、大学に行ったらどうか」と言われたのです。

日本では、専門学校を卒業しましたが、大学のハードルは高かったです。しかも授業が英語!しかし、もともと幼児教育を学びたいと思っていたので、2004年にコミュニティ・カレッジの外国人のための英語教室(ESL)をスタートしました。

コミュニティ・カレッジのESLは市のESLとは違いましたか。

こちらはレベルがビギナーから5段階あって、「リーディング、スピーキング、ライティング、文法」のクラスがあり、ただ順番にこなしていったのです。一番上のアドバンスまで行くと、カレッジのクラスが取れるので、初めて幼児教育に関する「Child Development」のクラスを受講しました。

ところが、カレッジの授業は、ESLと違って話すスピードが早い。最初は先生の言ってることが全然わからず、「録音してもいいですか?」と聞いたら、「推奨しないけどいいですよ」と。そこで90分の授業を録音したのですが、家で聞き直したら、全然わからない。実は直接聞いたほうが理解が深まることがわかりました。先生に相談すると「必死になって授業を聞きなさい」と。

読む量も多く、必ずプレゼンがある。でも、幼児教育にとてつもなく惹かれて、どうしても学び続けたかったので、1学期は頑張ろうと思って、主人に添削してもらいながら続けたところ、Aでパスしたんです。「あれ、もっととれば卒業できるのでは?」となりました。

学業の傍ら、2009年にクパティーノで保育園を開業し、休みながらも、ESLを入れると通算10年かけて、2014年にAAで卒業しました。

カレッジ卒業の頃、英語力は変わりましたか?

最後の頃には、ネイティブにはほど遠いですが、クラスの授業は8割わかり、クラスメイトとの会話ができました。「わからないからもう一回言って」と言え、説明の理解、プレゼンもでき、質問にも答えられる、という感じでした。 自分は英語でも達成できた、と大きな自信になりました。

大学で英語が上達したのはなぜでしょうか。

英語に特化したESLより、私には大学の専科クラスや、ネイティブのクラスメイトとのコミュニケーションが良かったと思います。アメリカ人は私の質問に対しても、「いい質問をしてくれた」「そういう解釈の仕方があった」などと励ましてくれて、質問することが怖くなくなりました。あとは、大量の書き物をこなしたことで、鍛えられたと思います。

習い事の仲間とのコミュニケーションを目指して、ブライチャーを始める

その後も英語学習は続けられたのですか。

ただし、その後はほぼ英語を使う機会がありません。何しろ、保育園のお客さんとのやりとりは、今も9割がた日本語なんです。年に1、2回、ライセンスオフィスの抜き打ち検査があるのですが、その際は英語が必要です。以前は主人に任せっきりでしたが、彼がブライチャーを開業するとセブへの出張が増え、一人でもできないとまずい、となりました。

そこで「もう1回ちゃんと英語やらなきゃ」と、今度は本を読み始めました。図書館で借りた本を、返却時期までに読み切る、というのを繰り返しました。その頃は、物語を楽しむというより、期日までに読み切ってやる!という変な執念だけで読んでいました。そのほか、Kindleで気になる本を買っては読んでいます。

ところが、会話する機会が少ないので、話すほうは上手になりようがないのです。 2015年、子どもたちが家を出ると、すごく寂しくなったので、「習い事をしよう」と始めたブラジリアン・ドラムにハマりました。週1回、イベントやパフォーマンスをしているうちに仲間たちと仲良くなり、この人たちと喋りたい、と思うようになりました。パンデミックに入ってから、ブライチャーで英語を学ぶことにしました。

ブライチャーのPodcastを見た米国人の友達が「これネイティブじゃないの?」と聞く

なぜ米国に住んでいながら、ブライチャーを選択したのでしょうか。他の学校は考えなかったですか。

ブライチャー以外は考えなかったです。松井が成功した方法で、聞けば聞くほど、すごくいいプログラムだと思いました。私のやる気がないばかりに、夫にいくら言われても実践していなかったのですが、学校という形になったことで、素直にできるなと。

フィリピンの学校で英語を学ぶことへの抵抗はありませんでしたか。

ブライチャーのPodcastをアメリカ人の友達に見せると、「これ本当にフィリピン人? ネイティブじゃないの」と言われます。実際に先生と話してみると、ほとんどの先生がカリフォルニアのネイティブと同じだ、と思いました。正直言うと、ちょっとアクセントがある先生もいるのですが、特に若い先生は今はYouTubeやNetflixでアメリカの英語に慣れていて、遜色がありません。

どんなふうに学習をスタートしたのでしょうか。

My Brighture で、まずはライティング(Reading and Writing、以下RW)のクラスを始めました。なぜRWかというと、ライティングがスピーキングにつながると聞いたことと、LS(Listening and Speaking)のスピーチは難易度が高いなと思って。これを1週間に1回、半年以上やりました。

エッセイの構成や、日常生活ではあまり使うことのない単語の数々を覚えました。大学であんなにエッセイを書いていたのに、英語から離れると本当に情けないくらい書けなくなっていて、愕然としました。

2020年の11月ごろ、何度かブライチャーのカウンセリングを受けました。そこで「日常生活で、英語をしゃべる機会が少ない」と指摘を受けて、週1回ずつ LS と DC(Daily Conversation)を取ることにしました。

LSを取ってみたら、怖かったスピーチも、やってみると意外に平気でした。もちろん最初はめちゃくちゃで、頭に浮かんできた言葉を全部喋ってたのです。それに加え、なぜか極度に緊張してパニック状態で喋ってしまう傾向がありました。先生からは、「同じことを繰り返し何度も言っている」と指摘され、メモの作り方が間違っていたことを知りました。「頭に浮かんできたものを全部書くのではなく、トピックだけ書いて、あとはメモを見ながら膨らませればいい」と。

おかげで今年の春くらいには、文法の間違いはあるものの落ち着いて喋れるようになり、先生にも初めて、構成が良くなったね、と褒められました。今は自信がついてLSが楽しいです。止めたら喋れなくなると思って続けています。

DCは週1回。一番よく知ってる先生を指名しています。それも、質問されてしゃべるのではなく、与えられた表現を使って、会話をリードして、繋げる方法を学んでいます。DCはお互いの考えをシェアする時間も多く、先生の人柄を知る良い機会でもあり、楽しいです。

大学のESLとブライチャーを比べると何が違うのですか。

マンツーマンかどうかが大きく違います。大学はクラスが20人くらいなので、手が抜けるんです。

「どうして英語が上手になったの」とアメリカ人保護者から聞かれた

スピーキングを始めたことで、日常生活に変化はありましたか。

1つは、父兄との会話です。ある日アメリカ人の保護者から突然、「どうして急に英語が上手になったの?」と言われてびっくりしました。確かに、保育園では保護者と毎日あったことを話すのですが、以前はアメリカ人の父兄には、緊張して当たり障りのないことを話していました。ところが、いつの間にかお互いの近況を話したり、子どもの深い話までできるようになっていたのです。でも、自分では気がついていませんでした。自分ではわかってなかったのですが、松井に「ほら、上手くなってるだろ?」と言われました。

もう1つはコロナ中に保健所とトラブルが発生し「すぐに保育園を閉鎖しろ」と言われたときに、口論でアメリカ人を説得できたことです。誰にも頼れないけど、絶対に保育園は閉められないという危機感からか、信じられないほどつらつらと英語が出てきて、相手を言い負かし、後からアメリカ人からお詫びの電話がきました。初めて、アメリカ人を言葉で説得できた、と思いました。

ここでは、特にDCとLSが役に立ちました。LSでは、準備なくしゃべるスピード感を得て、DCでは自分が会話を誘導することを学びました。

それから、語彙が増えて、会話でフッと出てくるようになりました。これはライティングが効いています。Kindleでの読書は続けていて、好きな本はウワーっと読めます。つまんなかったらやめます。

英語学習は、楽しいですか。

今はブライチャーが好きで、ブライチャーに生活を合わせてるほど、楽しいです。なぜなら、自分の世界が広がっているという実感があるからです。あんなに英語から逃げ回っていた私が、自分から英語の中に飛び込んでいけるのは、家族のサポートとブライチャーのおかげです。もっと変わりたい、「ニュー由美子」になりたい、と思います。

課題には、政治の話とかエネルギーの話など、自分が読みもしない、近所の人や習い事の仲間と話しても出てこないトピックが出てきます。「なるほどなー」となって、他のトピックも読んでみる。やってみるとそうだったんだ、と膨らんで、世界が広がっていく。自分が変わってるんだな、と実感します。絶対に得られない経験です。

教材となるニュースやインタビューなども最新のものが多く、先生がよく勉強していると感じます。

先生はどう選んでいますか?

私は厳しい先生、はっきり言ってくれる先生が好きなのですが、初回の授業で松井の奥さんだ、とわかると先生方が緊張し、「えっ」と顔が変わるんです。「確かにそうなんだけど、生徒だから遠慮しないで直してください」と言っています。今ではとても親身になってくれ、ゴールを高く持って次のチャレンジを与えてくれます。できないところはとことんやり直され、褒めるときは褒めてくれる。こうして、成果を見ていてくれる存在があると、「先生をガッカリさせたくない」から頑張れます。

最後に、ブライチャーをお勧めしますか?

ブライチャーは、英語ができる人の学校というイメージがありますが、こんなに英語ができなかった私のような生徒もいます。初心者に近い人でも、どこかで自信が持てるようになりました。一才でも若いうちにやっておけば、ブライチャーがもっと早くあれば、と思いますが、50代でも変わっていくことを実感しました。私が最も信頼し、大きく変えてくれた学校ですから、素直に先生について行って損はないと思います。ぜひ、みなさんにもこんな体験をしてもらいたいです。

ありがとうございました。